2009/07/03

インターネット接続

海外出張のため、1週間ほど留守にしてました。
私が電子メールをいうものを使い始めたのは、パソコン通信の時代であった1992年のことである。@niftyserve.or.jpというアドレスを使っていたが、or.jpというドメインをバカにされたのを覚えている。当時、大学研究機関(特にIT関連)でメールの使用が始まって、ac.jpというアドレスが当たり前だったからだ。その後、非常にIT化が遅れていた私の業界(化学・生物系)にもアドレスが浸透した。私が職場のまともなアドレスを取ったのは1996年のことだ。
しかし、当時、海外では個人的にメールを見ようとすれば、パソコンとモデムを持参して現地の提携プロバイダーに接続するしかなかった。これをローミングって言うんだが、かなり特殊な技術と知識、それと変圧器が必要だったので「海外ではフツーはダメなものである」とされていた。それ以外には、現地の端末でWebメールを見るしかなく、この場合は日本語フォントを(原則、その場で)インストールする必要があった。どっちにしたって、前もっての準備が必要で面倒だったし、100%接続できる保証はなかったよ。
今時は、ちょっと気の効いたホテルだったらロビーで無線LANが使い放題である。有料であることも多いが、街中に出れば「野良電波」を拾ってただで接続することもそれほど難しくない(但し、この行為はドイツでは違法)。
それ故に、世界のどこでもメールを読めるのは当たり前になってしまった。これはつまり、どこに行くにも無線LAN付きのパソコンを持っていくのが当然ということを意味している。重いし、機内に持ち込まないと不安だし、手荷物検査は面倒だし、いいんだか悪いんだかわかりませんな。

私たちが同期の某君との協力で、MLを立ち上げたのは1996年である。当時はものすごく特殊な技術が必要だった。現在はニフティーのサーバーを使っているから、多少楽になったものの、当時の方式を踏襲しているから、管理はそこそこ面倒である。最近は個人情報保護の問題もあるしな。
しかし、当時からメールの利便性に気づき、MLの創設にたずさわった(私を含めた)10名ほどの人をほめて欲しいとは思うぜよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/06/25

手抜き

手抜きなんだが、妙に面白かったので引用。

トリビアジャーナル941

筆者は朝日新聞を引退した記者らしく、文章が上手なんだが内容も微笑ましい。942以降も順に読み進めることを推奨。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/18

1Q84

村上春樹の新刊本が売れている模様であるが、私は現物をまだ読んでいない。ぼちぼち書評などで内容が少しずつ明らかになっているのを目にするのだが、1984年というのは特別な年であることは前から言ってる通りである。私はすごい。しかも内容も見透かしていたあたりは、自分を褒めてあげたい。私に欠けていたのはそれをストーリーとして組み立てる力であるが、それができればこんな仕事はしていない。当たり前である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/11

通信手段の進歩

そんなこんなで、携帯電話は一人に一台持つ時代になり、私たちはカメラで撮った写真をメールに乗せてやり取りする時代に生きている。ちょっと前まで携帯電話は「通話する道具」だったのに、気がつきゃそういうハイテクノロジーを誰もが使う世の中である。
もちろんそれ以前の時代にはポケベルがあり、文字情報や数字をやり取りしていた。バブル期なんか、ついこの前のような気がするが、その頃はポケベルしかなくって「14106」とか送ってたということを忘れてなるもんか。ちなみに「14106」は「アイシテル」って読むんだぞ。今から思うと「バカにしてんのか?」って感じだよなっ。
一方、固定電話網でファックスという画像情報のやり取りが普及したのは1981年だから、私たちが高校を卒業した年である。それも、用紙が「ジ・ジ・ジ・・・」と出てくるようなシロモノだったはずだ。「一体、それまではみんなどうしてたんだろ」って思うが、考えてみれば一般人が高速画像通信をする必要なんかなかったのである。

では、プロはどうしてたかというと、専用回線による無線通信(マイクロ波通信)をしていたはずである。私たちが子供の頃には都内のあちこちに鉄骨のタワーがあって、パラボラアンテナがいっぱいついていた。新聞社や通信社はあれで情報通信をやっていたはずである。いつの間にかなくなっちゃったな。
さらにそれ以前はどうしていたのかというと、驚くなかれ、それは「伝書鳩」なのである。
記者が支局に写真のネガを送ったりするのに、伝書鳩が最も早いという時代が長くあったはずである。有楽町にマリオンが出来たのは1984年だそうだが、それ以前にあそこにあったのは日劇と朝日新聞社の本社である。そして朝日新聞社の最上階は鳩舎であったことを知っている人は、もはやあまりいないだろう(ただし、鳩舎が実際に使われていたのは1961年までらしいが)。

現在も都心の駅などで、鳩が糞害を起こしているのを見かけることがあるが、あれこそは実は逃げ出した伝書鳩の末裔である。
その鳩こそが、うち捨てられた情報インフラなのであるよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/08

携帯電話

最近の多機能化した携帯電話、みなさん使いこなしていますか?
私は携帯にsuicaと電子マネー、航空機の搭乗機能だけは入れてあります。これだけやっても、携帯の機能の一部しか使っていないというのが情けない。テレビ電話どころか、カメラ機能もほとんど使ってないし。未だに携帯メールはむちゃくちゃ遅い。情報弱者である。
だが、suica機能はちょっと自慢である。自動改札を見ていても、携帯で通過する人は20人に1人もいないと思う。クレジットカードを使っていつでもチャージできて便利なのだが、私がこの機能を使っているのにはそれ以上の理由がある。

地方から出てきた(特に名古屋の)友達に見せびらかすためである。

実は全国の鉄道・JR系ICカードで、携帯で使えるのは今のところsuicaだけなのである。pasmoもダメ。今なら使っていると確実に自慢できる。くくく。
携帯で改札を通過すると、ものすごく羨ましそうな顔をされるぜ。
みなさんにも是非オススメしたいが、コドモ扱いされるリスクは承知して下さいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/01

ニットタイ

週末にユニクロに行ってみたんだが、私はある衝撃的な商品を目にした。
ニットタイである。
ポリエステルの太い糸で編まれたネクタイなんだが、私は高校時代に愛用していたシロモノである。触ってみたら、化繊独特の冷たい触感が激しい既視感を呼び起こして、背筋がぞくっとしたくらいである。

高校生だった私は、ウール製であった制服のネクタイを嫌って濃紺のニットタイをしていた。私の周囲の人の多くも愛用していたから、卒業アルバムの集合写真では沢山のニットタイを確認することができる。ニット製だから締め付け感が少なく、裏表もないので雑に結んでいることができた。懐かしい。

今でもタンスを探せばあると思うのだが、もう忘れかけていたのだ。こんなもん、今さら流行らせるなよなあ・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/26

パブ記事発見

この妙なヨイショ記事は、一体どういう意図のもとに書かれたのだろう。

http://d.hatena.ne.jp/morubasumomo/20090506

妙に力の入った校長の功績なんだろうか・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/23

首都圏

東京志向の強い私であるが、実は地方暮らしが長い。学校を卒業してから、福島県いわき市で1年、その後東京に戻ってきてからつくばに5年半と名古屋に2年半いたことがある。首都圏に戻ってきてから、実はわずかに1年ちょっとしか経っていないのだが、もちろんどこにいてもしょっちゅう帰っていたから、首都圏のことはよく知っているつもりだった。
そんな私が本格的に東京に戻ってきて、どうしても理解できないことが2つある。

一つは個人商店が異常に生き残っていることだ。
地方都市では巨大ショッピングセンターができると、周囲数キロの個人商店(特に八百屋・魚屋・肉屋などの食料品店)は壊滅的な打撃を受けて完全に営業が立ちゆかなくなってしまう。私のいたどの都市でも、商店街というものはもはや存在していなかった。そういう意味でスーパーマーケットが早くから普及していた首都圏では、もっと早い時期に商店街が潰滅しているはずである。
しかし事実は逆だ。私の現在の住居は世田谷、職場は川崎市の住宅街にあるが、どちらも駅前の商店街はもちろん、住宅街のど真ん中に唐突に商店街が出現する。知ってる人もいるかもしれないが、渋谷には街のど真ん中に八百屋があったりもするのだ。古くからの街だけではない。私鉄沿線の新興住宅街にも商店街は駅ごとにあって、しかもそこそこ繁盛しているのである。実際自分でも良く買う。
よくよく見てみると、それなりに品揃えに工夫してたり意外に安かったりもする。首都圏では移動に車を使わないという要素はあるにせよ、こういう個人商店がそこまで地元だけを相手にし、商売が成り立つ理由がイマイチよくわからない。

もう一点は「子供が外で遊んでいる」という、これまた意外な事実だ。
その川崎の住宅街では、ああた、子供が路地でドッジボールしてるんですよ。付近にはちょっとした緑地があるんだが、この前、シロツメクサで作った花輪が落ちていたときには、わが目を疑った。今時、そんなことして遊ぶのか。世田谷の家の近所は昼間見ていないけど、小学生が自転車で走り回っているのは実によく目にする。さらにここには、駄菓子屋のようなものがまだ残っている。
私がいた、つくばは計画都市だから公園がものすごく整備されていた。だけど昼間通りかかっても、子供が遊んでいるのを見ることはほとんど無かった。皆無と言っていい。決して子供が少ないわけではない。公務員宿舎がたくさんあるから町内会の行事などがあると、子供がワラワラと出てくるのだ、親と一緒に。私はそんな光景を見ながら、イマドキの子供は外では遊ばないんだな、としみじみとした落胆を覚えていたものだった。その事情は、名古屋でもあまり変わりはなかった。
世田谷も川崎も近所に大規模マンションがあるから、子供の絶対数が多いという事実はあるにせよ、私の理解を超えている。よくわからん。

一言で言うとですな、都会には「昭和のニオイ」がするのだ。つまり懐かしい風景は実は都会にこそ残っている、という極めて意外な結論に達するのである。
私たちは21世紀になって科学技術や流通が進歩した時代に生きていて、かつそれを担う責任ある世代にいる。そして都会というものはその「文明」をもっとも享受できる場所であるはずであり、「文明」によって伝統や地域性は失われ、ひいては人間性が喪失されることが懸念されていた。よくそんな話が、国語の教科書に載ってたじゃないですか。ところが、少なくとも現状ではそれは大嘘なのだ。
私は自分が得たこの結論が、私たちにとって一体どういう意味を持つのか計りかねているのだ。何が変わって何が変わっていないのか、私にはよくわからんです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/17

ジュリー

最近、あからさまに私たちの世代をターゲットにしたリバイバルやカバーが目につく。バブルを経験した私たちに購買力を期待しているのだろうが、そんなにマーケッティングというものは甘くはないぞ。子供の頃にオイルショックを経験して、欲しいものも買ってもらえなかった恨みは忘れていないからな。
それはともかくとして、いろいろな音楽が再び取り上げられ、懐メロとしてオジサン・オバサンになった70〜80年代の歌手がメディアに登場する中、明らかにそういう取り上げられ方を嫌っている人がいる。
沢田研二である。

GS時代の沢田研二は私もほとんど覚えていないが、「勝手にしやがれ」で颯爽と再登場した頃のことはよく覚えている。男の目から見てもかっこよさは際だっていたし、恐ろしいことに男性ヌードの写真集まで発売されたはずだ。誰の心にも当時の活躍は刻まれているから絶対に需要はあるはずなのだが、懐メロ歌手として現在メディアに露出することはない。
私の思うに、沢田研二はそういう出演依頼を断っているのだと思う。昔の夢を壊したくないからではないだろう。ごく稀にテレビに出演すると、中年から老年にさしかかった姿を見せつけてくれるのだ。私は腕に浮かんだ老人斑に衝撃を受けたことがある。「今を生きたい」と考えているのだろうね。ちょっと考えさせられる生き方だ。

私の記憶が確かであれば、沢田研二は最初に武道館公演を行った日本人である。TOKIOを歌っていた頃は、本当に大きく見えた。実際には意外と身長が小さいんだが。あの衣装は「タケちゃんマン」そのものでもあるが、あれを受け入れた時代の勢いというのがしみじみと懐かしくもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/08

80年代文化

私たちが高校に在学していたのは1978年から81年であり、80年代の文化とともに大学生活を送っていたということになる。

1980年代というのは、一言で言うとサブカルチャーの時代であった。私たちはほとんど知らない学生運動が完全に終結し、私たちの一つ上のジェネレーションである団塊の世代が提供する「若い世代が消費する文化」をありがたく享受していたと思う。
それが「コンビニ」であり「ファーストフード」であり「ニューミュージック」であり「ブランド」であった。歌謡曲はこの時代に全盛期を迎え、松田聖子や小泉今日子や「たのきん」がデビューしている。そういういろいろな文化がこの時代に生まれ、見事なまでに現在に残っている。ちなみに携帯やその前身であるポケベルはこの時代に、文化として影響を与えるものとしては存在していない。

雑誌が好きだった私が今でも覚えているのは、1990年に出版された別冊宝島の一冊「80年代の正体!」という雑誌本だった。内容はまったく覚えていないが、サブタイトルがふるっているのだ。
「それはどんな時代だったのか。はっきり言って『スカ』だった!」
素晴らしい。そのスカの時代に生きた私たちの20代前半を全否定してくれるよ。

今から思いだしてみれば、1990年というのはバブルの絶頂期である。少なくとも、バブルの最中にいるときに「今がバブルである」という自覚なんかあるわけないのであるが、それ以前は、野暮ったくてダメな時代に見えても仕方がないのである。ついでに言わせてもらえば、1992年のバブル崩壊に始まる10年間の方が、よっぽど「スカ」である。

実際問題としてもう80年代やバブル期のことは忘れてしまったな。「池袋三越閉店」とかいうニュースを聞くと、バブル崩壊後に金融機関がバタバタ潰れていたのをちょいとばかり思い出したりもするが、それもいずれは忘れてしまうだろう。
ただ、カラオケで聞く「80年代ナンバー」は妙に耳触りがよかったりはしますな。
80nendai

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/02

2009年展望

GWをご自宅でお過ごしの皆様、こんにちは。いかがお過ごしですか。

年始に予想した「今年が事件の当たり年である」というのは少なくとも日本においてはどうやらハズレであるが、アメリカにおいて的中と見るな。過剰融資の破綻とそれに引き続く株価の下落と証券会社の破綻、リベラル改革派への政権交代、大企業の破産に加え、自然災害の一種である伝染病の発生・・・
もう、デジャビュのようであるな。バブル崩壊後、1995年前後の日本そっくりなのである。
私がつくづくと思うことは、「悪い時はトコトン悪い」と言うことだ。そういう時はジタバタすることは禁物で、今できることだけをやって過ごすしかない。人生と同じであるよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/28

図形の証明

私が高校時代好きだった科目は、数学の図形問題であった。特に証明問題は好きだったな。
「円Oに内接する△ABCにおいて、なんとかでなんとかであるとき、∠A=∠Bであることを証明せよ」とかいうのを解くのが大好きだった。この種の問題を解くためには、定理を覚えていなくちゃいけないのだが、クイズを解くような楽しさがあった。だいたい、問題には隠されたヒントが必ず埋もれていて、補助線を一本引くとスカッと見えてくる。調子がいい時は、これがまたスイスイ解けるんである。ああいう爽快感は、最近あまり味わっていないような気がする。
しかもスカッと解けると、自分のセンスに激しい自己愛を感じるんだな、これが。「俺って、頭いいぜ」みたいな。

私は一時期、「自分が万一犯罪を犯して刑務所に入るようなことがあったら、高校生向けの図形問題集を差し入れて欲しい」と考えていたことがあった。そのぐらい「頭を使ってますっ!」という感じがあるんだな。
しかし今、本屋でそういう問題集を立ち読みしてみても、もーほとんどチンプンカンプンですわ。大体において、定理を忘れていればなんにも面白くない。
そういう問題を自在に解いていた高校時代の自分に感心するやら、それを教えていた数学の先生に畏敬の念を抱くやらの、40ん歳。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/24

51名

自宅にワカバ会報が届いていた。行方不明者のリストが同封されていたんだが、33期51名という数字にショックを受ける・・・
名簿のメンテはマメにやんなきゃ、ダメだな。
GWにヒマを見つけて名簿のチェックをおこなうことにする。憂鬱だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/14

私たちが酒を飲み始めた、大学生の頃はビールで乾杯→ウイスキー水割りか燗酒というのが一般的だった。前にも書いたように、酎ハイ文化は学生時代に発生したが、少なくとも当時は社会人になってまで飲むものではないとされていた。

さらにちょうど社会人になった頃、冷酒という存在が一般的になった。私の職場の周囲の人が酒好きだったこともあって、一時期、日本酒ばっかり飲んでたなー。
ただその頃、私自身は日本酒はそれほど好きではなかった。嫌いとか苦手というわけではなくって、「覚えるのが面倒だから」だ。日本酒というやつは何回飲んでも、味が覚えられんよ。それと、わからないとバカにされるのがイヤだったな。銘柄酒の吟醸と大吟醸と純米酒が区別できないと、露骨にバカにする人がその頃は沢山いた。少なくとも同じ銘柄だったら、純米大吟醸を美味いと言わねばならない。この事情は今だって同じだよ。
しかも何せバブル期だから、越乃寒梅や上善如水にプレミアがついたりして、バカ高かったもんだった。ちなみにどっちも水みたいで、どこが美味いんだかよくわからん酒ではある。

そこでその頃知ったのが、「とりあえず知ったかぶりをしたければ"柏露"を頼め」という技術だった。柏露は新潟長岡の酒で、結構どこの店にも置いてあり、値段もそこそこ、ちょいと辛口だが飲みごたえがある、という理想的なスペックをもっているのだ。実際、いい酒だと思う。
20年を経た現在でもこの小ワザは通用するので、是非おためし下さい。天狗舞とか八海山とか〆張鶴というよりは(なぜか)謙虚に聞こえるという点もメリットだが、まあ、飲んじまえば同じだわな。

その後日本酒ブームは下火になり、カクテルが流行したりしたが、生き残ったのは焼酎とワインであることに異論は少ないと思う。焼酎は味がはっきりしているから違いがわかりやすいし、グラスでとっかえひっかえ飲んでも違和感がない。逆にワインは所詮は一期一会だし、いいワインは青天井だから、自腹で飲むグレードのワインは、飲んで「美味いか、そうでもないか」の感想だけを言えばいい。
あたしゃ、つきあいで日本酒を飲まなければいけなかった頃に比べて、「いい時代になったもんだ」と思っていることであるよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/09

誰か、買ってくれ!

欲しい。
今でも買えるという事実に、軽く驚くが。
しかし、買ってどうする?恥ずかしくて着られないぞ・・・

http://www.joymark-design.co.jp/online/products/detail.php?product_id=105

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/02

画像処理

インターネットの勃興期、と言ってもたった10年ほど前のことだが、私が最初に熱中したのがアイドルのグラビア画像を収集することだった。まー、その、いろんな意味でお世話になった画像がネット上のいろいろな場所に貼られていて、私は夢中になって収集したもんだった。まるで猿のように。
当時は幸か不幸かインターネットをそういうけしからん目的で使うことができるということがそれほど知れ渡っていなかったし、もちろん2ちゃんねるも知られてなかったし、規制も少ない職場にいたこともあって、私は家はもちろん、職場でも平気でやりまくっていましたよ。
だから私は、高校時代に立ち読みで済ませていた男性誌に載っていたグラビアのほとんどすべてを収集するに至った。今でもそのほとんどが保存されている。
男子高校生というものは、なにしろそういうものに胸と股間を膨らませるバカな存在であるのだが、意外とそういう男性誌をお小遣いで買うのは敷居が高い。ソレがインターネット経由で簡単に集まってしまう時代の進歩におじさんは感激したもんじゃった。
結果として、私はさんざんそういうことをやり尽くし、飽きて現在に至る。今でも時々そういうところに紛れ込むことがあるが、もうあまり興味がない。いい年こいて、当たり前だっつーの。

その後、世間の流れが変わり、パワーポイントとかで仕事のプレゼンをするようになると、当時、さんざんやってきた画像処理の技術が何故かひょっこりと顔を出す。解像度の変更、ファイルサイズの削減、フォーマットの変換、mac-win間の互換性、レタッチ方法、ツールの使いこなし・・・私はそれらのほとんどをそーゆー画像の収集過程で学んだ。だって必死だったもん。モザイクを外す技術だって、習得したぐらいだったのだ。

今ではその画像処理の技術を他人からは頼りにされてたりもするんだが、自慢できるよーなもんじゃねぇってことよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/03/26

ラーメン考

私はラーメンの食べ歩きというものが嫌いである。

正確に言うと、それを語ることが嫌いなのだ。
ラーメンなんか、しょせんはB級フードなんであって、それに対する「店主のこだわり」をしたり顔で解説したりする行為がビンボ臭くてイヤなのである。ちなみに私は「こだわり」という無神経な単語も嫌いで、なるべく使わないようにしているが、いい代替語がないのが困りものである。
それはともかく、かといって私はラーメンが決して嫌いなわけではない。私にとって、ラーメンとは「二郎と同じ満足感を与えてくれるか否か」が判断基準である。だから気がついたら自分も語っている。そいつも気に食わん。

私たちが食べ盛りの男子高校生だった時に、ブレイク前のラーメン二郎が至近距離に存在していたことは、ある面で大いなる不幸であった。ああいう店は私たちが高校を離れ味を忘れた頃に、ひっそりと閉店していてほしかった、とすら思う。「高校時代は喜んで食べてたけど、今あっても、衛生的にもボリウム的にも食えねーよな」という感じで、記憶の彼方に昇華すべきだったのではないかと思う。
しかしその後、二郎は一部の「ラーメンおたく」の注目を浴び、気づいた時にはカリスマ的な人気を博すようになっていった。
「二郎は、三田のローカル店でいいんだ」。私はそう思うよ。

2ヶ月ほど閉店していた二郎は、復活を遂げた模様だ。オヤジは糖尿病を患っていたらしい。
私たちが年を取った分だけ、きっちりオヤジも年を取っているのだ。当たり前だよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/03/20

車両故障

私は高校時代には京浜東北線を使って大森から通っていたが、1〜2ヶ月に一度のペースで起こる「車両故障」にはウンザリさせられた記憶がある。さっきまでまともに走っていた電車が、突然「何とか駅で車両故障が発生し・・・」の一言でピクリとも動かなくなるのである。
あとで知ったのだがこの辺の電車区は当時、とても組合の力が強く、車両故障や事故などの時に緊急出動の要請をするには複雑な手続きが必要だったのだそうだ。「さもありなん」と思いましたな。普段から駅員の態度なども最悪だったし。
しかも、理由は必ず「車両故障」だった。人身事故とか車内トラブルとかそういう理由はなし。たぶん、理由をそう説明するのが無難だったんだろう。
ともあれ、そういう事態は大変に困るわけで、振替乗車票をもらって私鉄や都営地下鉄などを駆使して何とかたどり着いた記憶がある。この事情は大学生になった時も同じだった。

だけど、国鉄民営化を経て、気がついたらこの「車両故障」という言葉を聞くことはなくなった。今時の通勤電車は、2〜3分遅れただけで事情を説明して「申し訳ありません」とか言ってるもんな。気持ち悪いくらいの丁寧さである。

もちろんそこには大きな事故なんかの影響もあるんだろうし、それ以上に時代の変化もあるのだろう。だけど、欧米では労働者のストなんかで交通機関が遅れるのは日常茶飯事だし、日本ほど時間にきっちりと運行されている国はない。そう考えると、少し息苦しくもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/03/14

高校生の恋愛

ここでも何度か触れているが、私には高校時代にまともな恋愛経験というものがない。周囲を見渡してみても、高校時代に彼女彼氏がいて「つきあっている人がいる」状態にある人は少数派だったように思う。
大学生になって、他の地方から来た人を見ると「結構やるべきことをやってんなあ・・・」ってたじたじになった記憶がある。特に私は地味な理系だったくせに派手な校風の大学に通ってたので、周囲のそういう人たちが羨ましくもあり、疎ましくもあった。私はそのときの感覚が、今でも身体のどこかに残っているのだ。

ある社会学者は最近のティーンエイジャーのいわゆる性の乱れを分析して、『日本の伝統的村落では男女ともに初交年齢は15歳前後で、それが近代学校教育の浸透につれて都市部上層から次第に初交年齢が上昇、1960〜70年代にピークに達した。それが80年代以降の脱学校化のプロセスで、元に戻りつつあるだけなのだ。』と述べていた。
「初交年齢」っていうのはもちろん最初に性体験をする年齢であり、「脱学校化」というのは情報手段が変化して、学校以外から情報を得ることができるようになったことを指す。
つまり『伝統的な道徳規範の緩みが(低年齢層での)性体験率の上昇をもたらしているのではない。むしろまったく逆だ。伝統的な道徳規範に抗して進められた近代学校教育が一部用済みになり、子どもらが脱学校化したことが最大の理由である。』というのだ。

この分析は、私たちが高校大学当時に感じてた「東京人って意外とオクテ」っていう感覚によく合致する。したがって、"都市部上層"で"近代学校教育"を"1960−70年代"に受けた私たちは、すなわち相当な恋愛弱者ということになる。

私たちは、その10年前に存在していた学生運動の影響を意外に受けている。思えば学生運動というのは学校の存在を前提にしたものであるから、脱学校化のように見えてむしろそうではない。私たちの世代は脱学校化に向けて、ようやく学校以外の情報が存在することを知ったぐらいだったはずだ。
私たちはアラフォーというには少し年を取っているが、そのライフスタイルにそんな影響があるなんて、もうみんな忘れてんだろうな、と思う。


続きを読む "高校生の恋愛"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/03/06

展開図

大学にせよ、高校にせよ、入試のシーズンも一段落したようである。悲喜こもごもであったと思うけど、ご自宅に受験生を抱えている方は大変であったことでしょう。お見舞い申し上げる。

新聞に都立高校などの入試問題が掲載されると、いつも思い出すことがある。それは私たちが都立高校を受験した時の数学の問題である。立体図形の展開図の問題が出されていたんだが、組み立てた時にどうなるかを問うものだった。当然のことながら、実際に組み立てればすぐに答えがわかる。
だから、問題冊子の表紙には「切り取ってはいけない」という旨の注意書きがあった。私がなぜそういう些細なことを覚えているかというと、実際に切った人が何人もいたのを入学後に知ったからだ。「切った人」は試験中に問題用紙を取り上げられたりしたらしい。中学校3年の受験生にとって、その動揺はいかばかりであったかと思う。
その中にはもちろん不合格になった人もいたはずで、今から思うと心の傷が心配なほどである。今でもトラウマである人がいるはずだ。また、合格した人の中でも補欠合格が多かったことを記憶している。特に11群の中でも三田高校は入学辞退が多いから(苦笑)、補欠で入ってきた人が集中していたと思われる。

新聞に都立高校の入試問題が掲載されていたのを見たとき、軽い感動があったのだが、考えてみれば私は本格的に東京に帰ってきてから1年経ってないんだよなあ。とほほ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/02/28

休店中

おやじの怪我を理由に三田・二郎が長期休店中の模様だが、大丈夫かな?どうやら、転んで怪我したらしく、そろそろ1ヶ月にもなるらしい。
私たちだってきっちり年を取っているんだから、そりゃおやじだって年を取るよなあ。
最近の三田二郎は妙なカリスマ化しているので、情報が入ってくるのはいいが、もはや高校生が学校帰りに気楽に食べる店ではなくなっているようだ。その辺が複雑な心境ではある。

私たちが高校時代に二郎を食っていた時、実は1週間程度の休店はそれほど珍しいことではなかった。「保健所の検査で営業停止を食らっている」という噂だったが、もちろん真偽のほどは不明。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/02/23

大学進学率

私たちが高校を卒業したのは1981年であるが、当時の大学進学率ってどのぐらいだかご存知ですか?例えばこのへんを見てみればわかるが、おおよそ35%ぐらいである。このうち、短大が10%ぐらいを占めるから、4年生大学の進学率は25%というところか。現在は50%を少し超えたくらい。うち短大は6%ほど。
いずれにせよ、意外に低いものである。
全国民のうちの大学進学率という統計はなかなか見当たらないが、20%には多分行かないと思う。私たちが普段接する人間は、ずいぶん偏ったところにあるというのがこの数字からわかる。ちょっと前に「世界が100人の村だったら」というのが流行ったが、日本人の平均的な人を100人取り出したものを見てみたいと思う。みんなどうやって生活しているんだろうね。

そういうものの一つに、芸能界というものがある。普段目にする芸能人って、よく見てみればほとんどが高卒である。たまに大学卒業している人がいると、必ずその人は知性派タレントと言われるんであるよ。眞鍋か○りとかな。
気がついたら、私たちはその地位にいる。ちょっと複雑な気持ちになるな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/02/14

大学への数学

バカ理系受験生だった私が当時、必死になって読んでいたのは「大学への数学」であった。この雑誌は、大学受験には必要ないほどの高レベルの問題を毎月掲載していたのである。特に巻末に収録されていた「学力コンテスト」という名の通信教育問題(切り取って編集部に送ると採点される)は、最高難度を誇っていた。毎月の発売日に買って必死になってその日のうちに解くことが一種のホビーだったが、全問解くことは至難の業であり、私は一度も達成することは出来なかったと思う。

とはいえ、選りすぐりの良問を提供し解法を探求していたのは事実であった。特に画期的だったのは「ベクトルの外積」という高校のカリキュラムには入っていない"技術"である。これを使うと難問があっさり解けたりするので、私はそういう解法に凝ったりしたもんだった。
あげくの果てに行き着くのは、入試問題の批評である。妙な審美眼が養われるから「さすが東大は毎年、良問だよね」とか「信州大学*は、相変わらずの奇問で勝負かよ」とか、のたまいはじめるのである。このような症状は、現在では「中二病」と呼ばれて恐れられている。

知っている人は知っていると思うが、大学への数学の発行人(黒木正憲)はウオークマンの開発者(黒木靖夫・故人)の実の兄である。世の中に才能を持っている人というのは、限られているという証左でもある、と私はいつも思うことだよ。


(*: 信州大学は当時から奇抜な入試で有名だったぞ)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/02/08

次のお店

シェーキーズやら壁の穴やらでそれなりの失敗をしたバカ大学生だった私(たち、か?)が次に覚えたのが、「ヘンリーアフリカ」である。ここで注意しなければいけないのは、当時はまだ「居酒屋」というものが普及する前だった、という点である。和食だと、これも当時流行りはじめた「ちょっと高級な焼き鳥屋」である。この種の焼き鳥屋では、コースで頼む。
で、ヘンリーアフリカであるが、これは要するにトロピカルカクテルを出すバーで、当時は都内のあちこちに存在していた。渋谷・原宿・赤坂・銀座etc.だな。経営が不二家で、レジの目立たないところにペコちゃんの人形がこっそり置かれていたよ。

当時、飲み慣れない酒だしやたらに甘いから、私は完全にペースを見失ってしまい、何度もゲロ吐いたな。ヘンリーアフリカと言えば、ゲロである。お店の皆様、また一緒に飲んでくれた友人の皆様、深くお詫び申し上げます。
数年前、横浜に一軒だけ残っている店に行ったけど、ファミレスみたいな店舗だった記憶がある。現在も営業しているかどうかは不明。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/02/02

三足1000円

見栄っ張りの私にとって、高校時代には三足1000円の靴下を履いているのは結構ヤバい行為であった。何しろ当時の三足1000円は、白いソックスに3本のラインが入っているシロモノしか存在しなかったから、体育の時間とかにバレたりすると地味に恥ずかしかったことを覚えている。しかもこういう靴下は、くるぶしから上の丈が短くって、絶妙なビンボー感を醸し出していた。その上、自分の履いている靴下は、まかり間違えば誰かと同じセットとして同梱されていたかもしれないのである。これを称して「ご兄弟靴下」と言ったものだった。
少なくとも私の高校時代は、親にそういうものを買ってきてもらうことが多かったから、「それだけはやめてくれ」と涙の訴えをしていたような記憶がある。お母さん、ごめんなさい。

21世紀になってユニクロが普及して、三足1000円でも別に恥ずかしい要素は何もない。中国製なのかもしれないが、靴下ぐらいだったら「ユニバレ」でも「ユニかぶり」でもそれほどイタくないと思う。
いい時代になった、というべきなのかもしれないが、どうせ、今時の高校生は別のところでプチ見栄を張っているはずである。
世間に迷惑をかけない程度にがんばって欲しいものであるな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/01/29

センター試験

1月にはセンター試験も行われて、受験生ならずとも高校生にとっては浮き足立つ季節だ。同期各位には受験生を抱えている家庭も多いはずなので、神経質なシーズンでもある。
新聞にはセンター試験の問題も公表されているから、私たちも何となく見る訳ですよ。前回も書いたように、じっくり問題を解く根性はないのであるが(さすがにそこまでヒマじゃないし)、「今受けたら、どのぐらい取れるかなー」ぐらいは考える人は多いと思う。

私の場合職業柄、化学と生物はさすがにほぼ満点が取れると思う。ただ暗記もので若干取りこぼす可能性がある。あと「専門知識が解答を邪魔する」ところがあるので、まあ95%程度か。
物理・数学はまったく自信がない。公式・解き方の大半を忘れてしまった。多分2-3割ぐらいしかできないと思う。
そこそこの得点が期待できるのは英語と国語。英語は未だに不得意なんだが、わかんない単語が出てきても強引に読む技術が進歩したので長文はかなり行ける。受験熟語・文法は怪しいが、違和感のある選択肢を除去すれば相当行けるはずだ。国語も文章解釈は今から見れば易しいし、漢字も選択肢があれば間違うことはなさそう。楽観的に見積もって80-85%。
社会は歴史はほぼ全滅。問題文を読む気もしない。地理・政経は結構行けるが6割程度か。

確実に言えることは、現役の受験生には絶対に負ける、ってことですな。
私のような職業ですら、これである。老いは残酷であるよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/01/25

TOEIC

会社にお勤めの皆様、TOEIC受けさせられてますか?
私は幸か不幸かそういう職業じゃないので、半ば強制的に受けさせられるということはない。ただ、30歳前の企業人だった頃は、人並みに受けさせられていた。点数は「一応他の人からは褒めてもらえるが、自分から威張るほどでもない程度」であるな。

去年の秋だったか、ふと自分が今どのぐらいの点数がとれるのか知りたくって、自費で受験したことがある。ご存知のようにTOEICはシステムの変更があったせいもあるんだが、最高期より100点ぐらい低い点数しか取れませんでした。受験勘っていうのはいうのは鈍るもんだな、ってのが私の感想。もちろん今更、自分で問題集を解いて勉強する根性はあるわけないっす。

試験会場は昭和女子大だったんだが、教室の固い椅子に座ってマークシートを埋めるという作業はものすごい苦痛だったな。会社の会議室でやるのとは、相当に趣が異なる。職業柄、教室で講演をしたり聴いたりする機会が多いのだが、それとも違う。開始30分ほどで「何で俺、こんなことやってんだろ」と思った。受験生だった頃は何の疑問も持たなかったのにね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/01/15

壁の穴

スパゲッティー専門店である「壁の穴」は、シェーキーズやアンナミラーズを覚えた大学時代の私たちが、次に覚えるべき店であった。
昔は渋谷東急ハンズの向かい(「オルガン坂」って言うらしい)にあって、カウンターしかない小汚い店だったはずである。たらこスパゲッティー発祥の店、ということになっていたと思うのだが、バカ大学生になったばかりの私たちが食べるべきものは「若者のアイドル」であった。これはトマトやナスをソーセージと一緒に炒めた脂でギトギトのスパゲッティーであって、ビールや水割りを飲み過ぎたあとに食べると確実に気持ち悪くなったものだ。しかし、あえてそれには逆らわずに、そのまま吐くのが正しい80年代大学生の姿である。異論は認めない。

「壁の穴」は現在、道玄坂小路(東急本店の前から道玄坂に抜ける道)の途中に健在であるが、昔の場末感あふれる店の印象は希薄である。ただ、いまでも「若者のアイドル」はあると思う。
知っている人は知っていると思うが、新宿の京王地下街にあるのは偽物で、裁判沙汰にもなったはずだ。メニューはそっくりなんだけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/01/09

田舎者

年末年始のお休み、皆様いかがお過ごしでしたか?私は年末に引いた風邪が正月まで残ってしまい、暴飲暴食ができなかったのが残念でならない。年を取るにつれて、風邪の治りは確実に悪くなるな。

長期の休み中、電車に乗っていて私がよくやるのは、上京した田舎者ウォッチングである。微妙にストライクゾーンを外したファッションを見ていると、なかなか下世話に楽しいのである。
何故か、同性同士の3人連れというのが圧倒的に多い。必ず一人は、ドブスか坊主であるな。ファッション雑誌を見て必死に研究したであろう、新品(でも安物)の洋服が泣ける。通販で買ったのかな?

私が名古屋にいた時に、周囲の若い女の子で「お嬢様」と呼ばれている子がいた。男子に大人気なんだが、私の目からすると「なんか、勘違いした女」にしか見えなかったな。一言で言うと、普段から女子アナのような格好をしているんである。この時期だったらピンクの半袖のニットとかな。
ボスの異動が決まって、一緒にこっちに戻ってくることが決まった時、私は「東京の"お嬢さん"というものは、ああいうインチキお嬢さんじゃないですから、気をつけて下さいね」と忠告したもんだった。
「それはどういうものなのか?」と聞かれたから、私はこう答えたよ。「首都圏では教育に金をかけるのが、一つのステータスだ。それに親の躾が厳しいことがすごく重要視されるから、お嬢さん・坊ちゃんであればあるほど、地味な格好をしているものだ」って。さすがに「一面的な意見であることは、承知ですけどね」とは付け加えたけど。

もちろん、その私の一面的な価値観には三田の友人の空気感が色濃く反映されている。私は大学に入ってから出会った世間的な意味でのお嬢様・お坊ちゃまよりも、都立高校である三田の同期にこそ「ボンボン感」を強く感じる。理由は親が、つまらん見栄を張らないという意味で正常な価値観を持っているせいだと思っているけどね。
私には子供がいないからよくわからないけど、さすがに今はずいぶん公立高校の意味というものが違っていると思うが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/01/01

あけましておめでとう。

あけましておめでとうございます。
昨年もこのブログをご愛読いただき、誠に有り難うございます。
これからは更新頻度を落としていくつもりですが、なるべくフェードアウトしないようにします。

ところで、私以上にみなさんご実感の事とは思いますが、世間の景気は悪いです。
かつて書いたこともありましたが、私は2009年は事件の「当たり年」と見ています。大きな天災や事故に注意して下さいね。人の集まっているところは、避けた方が無難だと思うぜ。
ま、真に受けない程度にご記憶のほどを。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«レストランチェーン