2008/07/16

お久しぶりです。

そうです、ツトムです。

管理人様、ご出張らしいです。
パソコンがおかしくなり、
息子は貸してくれないし、娘はごねるし、
ということで、
話題の中野ブロードウェイで調達。
これで充分。


しかし、中野の駅は変わりがない、気がした。
バスケット部で、大妻中野高校に何度か行った覚えがあり、
その雰囲気はそのままだったなぁ。
JRの駅って、なんだか特別な匂いがありますよね。
私鉄には無い匂い。

サンモール中野だって、佇まいは変わらない。
でも
携帯ショップがたくさんあって、
ユニクロもあったけどね。

夏本番です。
毎年、夏の校内合宿を思い出す。
バド部が使った後は、
窓を閉め切っていたから
異常に悶々としていた(あれ?表現おかしい?)

汗をかくという現象も
高校生の頃は、弾けていて
水で洗うとそれも弾いて、すっきりサッパリだったけど

今は玉のような汗は出ないから。
どんな汗でも
体にまとわりつきますね。
だから、ランニングするときも
自転車に乗るときも
首タオルが欠かせない。


という「オバサン現象」の話。
あれ?
ちょっと趣旨ずれた?

という感じで、またちょくちょく書かせてもらいますcoldsweats01

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2008/07/11

油断

今日、日本の携帯電話端末の性能が破壊される瞬間に立ち会った。
私は古くからのマックユーザーだから喜んでもよさそうなものだが、日本陣営、日本語入力で負けんなよなぁ。。。女子高生相手の商売じゃ、そりゃまあ世界に勝てないって。

私たちが小学生くらいの頃は「戦後」のニオイがプンプンしてたから、舶来モノが国産品よりも優れているのは当たり前だった。国産品で勝てるのは、ソニーとニコンぐらいだったな。高校時代だって、カメラにコダックのフィルムを入れてたら尊敬されたもん。フジやサクラより、ちょっと高かったし。気がついたらアジアクオリティーの製品が市場を席巻し、国産品が高級品として認知されるようになったのは、むしろ割と最近のことである。
液晶テレビ見てても、まさかシャープがトップブランドになるとは思わなかったなー。少なくとも私たちが高校時代のシャープは、サンヨーと並ぶ二流ブランドだったよ。そういう意味では、地味に技術力をつけている日本のメーカーに感心していたのだが。いや、技術はいいんだが、企画力で負けたな。

ま、私の個人的な意見だから気にしないでくれや。関係者いても、気を悪くしないでね。

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2008/07/07

一杯のかけそば

「一杯のかけそば」がブームになったのは、バブル真っ盛りの1989年のことだ。みなさん、どこで何をしていましたか?

ストーリーを荒っぽくおさらいしてみると、こんな感じだ。
北海道のそば屋「北海亭」に、父親が残した借金で貧乏生活を余儀なくされる3人の母子が大晦日にかけそばを分け合う。そして十何年か後に、子供たちは銀行員と医者に出世して北海亭に現れたのだった。

作者はその後、詐欺で逮捕されたりしてブームは急速に終息した。
今から見てみると、この話は不自然な点が多すぎる。そもそも、父親の残した借金というのが、「お父さんの起こした事故の保険金の支払い」という意味不明のシロモノなのである。
しかしこの話で最大に不自然なのは、出世の象徴として子供が「銀行員と医者」になる、という点にある。
思えば、バブル期において銀行員と医者というのは、最も「カネのニオイ」がする職業である。貧乏な家に育った子供が、成功の象徴として選ぶ職業としては非常にあざとい感じがする。そもそも当時の就職活動では銀行員は借金を抱えた家の子供がなれる職業ではないし、学費の安い国立大学であろうとも医学生は金がかかる。やっぱり嘘っぽい。

時代が変わり、今では銀行員や医者というのはそれほど特殊な職業ではなくなり、むしろ過酷な労働を強いられるという意味で象徴的な職業になった。同期にもこの職業に就いている人が何人かいるが、ほとんどの人が常識的な社会人である。未だに変なやつもいるけどな。それ以上に、バブル崩壊を経て収入の差が絶対的な価値観ではなくなったのだと思う。

ここまでスイスイ書いたのだが、まとめきれなくなってしもうた。いずれにせよ、同期にはいろんな職業の人がいて、お互いに敬意を持てることが財産だと思っているよ。カネじゃねーもんな。

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2008/07/04

受験の参考にはなりません

アクセス解析を見る限りにおいて、たまにこのページに高校受験の情報サイトから飛んでくる読者がいるようである。最近の検索エンジンは進歩しているから、自動的にブログから「三 田 高 校」という単語を収集してリストに載せてくれている模様。今回は「」内、検索を避けるようにスペースを入れてみました。効果あるかどうか、わかりませんが。
ご参考までにどうぞ。http://www.zyuken.net/school_page/11310321162.html

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2008/06/29

方言力

英語力に苦しむ私は、相変わらず同級生の帰国子女が羨ましくて仕方がない。私も幼い頃から英語に接する人生つーもんを歩んでみたかったものである。
「今から勉強すりゃーいいじゃないか」という意見もあるんだが、残念ながらそいつはもう遅いのである。今から、私がそれを思い知った理由について説明したい。

私が某化学会社に入社したのは、大学院の修士課程を終えた24歳の頃である。入社直後の(わずか)1年間、福島県いわき市にある工場付設の研究所に配属された。私にとって初めての地方暮らしであって、工場のおっちゃんとかと話をすれば、心ならずも地元の訛りが身につくのである。ま、私の場合、訛りをネタにして東京で笑いを取っていたという屈折した理由もあるんだが、1年ほどでその気になれば、結構流暢ないわき弁を話すようになった(ただ、東京人が方言を話すと地元民からは嫌われるぞ)。ちなみに、今でもネタとしてなら話すことができる。
その後、紆余曲折を経て再び東京を離れたのは2年前のことだ。このとき私は43歳で、2年間の名古屋暮らしをすることになる。
だけどだな、いくら頑張っても名古屋弁が話せねーんだよ。そりゃ、「〜しとった」とか「〜が、おっとった」(「お」にアクセント)とか、断片的な名古屋弁は話せるよ。しかし、長いフレーズとなるとまるっきりダメである。

「そりゃ、溶け込もうとしなかったからじゃねえの?」という指摘もあるんだが、それはいわきも同じである。あるいは「名古屋の訛りなんて、大したことねーんじゃねーの?」という指摘もあるんだが、それはそうでもない。微妙に共通語とはイントネーションが異なる。
結局、私が得た結論は「方言であろうと語学は、1歳でも若いときに接しなければダメだ」というシロモノであった。
まったく、つまらんところで、つまらん結論を得たもんである。

人と話したりテレビを観ていて、ほんのわずか標準語と違ったイントネーションを耳にすることがあるけど、しゃべっている人がいわきか名古屋出身である場合に限り、「お?」と思うな。正確に言うと茨城県北部〜福島県浜通り地区と、尾張〜美濃地方をピンポイントで認識する。他の地方の場合は、どこだかわからないのだよ、これが。

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2008/06/25

ヨドバシカメラ

「♪まあるい緑の〜」で始まるCMソングは誰でも歌えると思う。
できれば、まず、その歌をワンコーラス思い浮かべてから(できれば小声で口ずさんでから)、この記事を読んでほしい。それで最後に「続きを読む」をクリックしてね。

私たちの高校時代、ヨドバシカメラがカメラ量販店として最初に店舗展開を始めた。画期的だったことは、カメラやフィルムなどの写真用品が量販店の商品となり得る、という事実だった。冷蔵ショウケースにフィルムを入れるというのはヨドバシが元祖であるはずで、カメラが趣味だった高校時代の私にとってはディズニーランドに匹敵するワンダーランドであった(「カメラが趣味」と言っても「カメラ小僧」ではなく、カメラのメカが好きだったのである。誤解すんなよ)。
・・・いやいやそれはともかく、山のように積まれたフィルムは街のカメラ屋での店頭販売が基本だった時代には、衝撃的だったと言える。と同時に、高校生独特のある種の「犯罪行為」を誘発する甘い誘惑に満ちていてですな、【途中自粛】であったはずである。私はよく知らないが。2年生の時の8mm映画においても【再度自粛】、欠かせない存在であった。

今になって、カメラの名前を標する家電量販店が街に並び立ち、店内に家電を求める客が溢れているのを見ると、カメラが大好きだったあの頃が懐かしく感じられる。今どきの「何とかカメラ」には、フィルムを入れる冷蔵ショウケースはもうないか、店の片隅で小さくなっている。昔の大規模ショウケースからはフィルムの乳剤独特の酸っぱい匂いがしたものだった。あの匂いも、時代とともに消えていく運命なのだろうか。


続きを読む "ヨドバシカメラ"

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2008/06/22

震災ダム

梅雨のこの時期は、自然災害の時期でもある。それ以外にも大きな地震があったりして、被災者の無事を祈るともに、愛読者の方々に被害がなかったことを祈ります。

震災で発生した自然ダムでふと思い出したのは、「岸辺のアルバム」である。ちょっと調べればわかるが、このドラマは1974年の台風災害をモチーフに1977年に製作された。私たちがこのドラマを見たのは、従って中学3年生の頃、ということになるな。
ご存じのように、狛江市で多摩川が氾濫し、最終シーンで河川堰が爆破されるのである。そのシーンが、家族の関係を象徴する重要な場面に挿入される。私は結構、印象深く記憶している。

今だって、震災ダムを爆破しちゃえばいいと思っている人は多いはずで、実際に中国では爆破処理していると思う。だけど、今はそういうのは流行らないんだろう。もちろん、状況の違いというのもあるんだろうけど。

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2008/06/17

愛読者の皆様へ

ここ数回、「濃いめ」の話題を振ってみたんだが、いかがでしたかねえ?「葉桜の季節に〜」なんか、あの文章力の欠落した小説を2日もかけて読んで、手間かかってんスよ。クロクイの動画なんて、かなり前に発見してあっためてたから、苦労してんだぜ。
更新しない日にも頻繁にアクセスがあるから、妙に楽しみにされていることだけはよくわかった。

だけど、あんまり期待しないでほしいもんである。更新には、私の仕事の忙しさはあまり関係がなく、気分によるからな。それから、たまにはメールくれ。特にツトム、オメーだ。

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2008/06/12

芸能人

世の中には、「特別感」のある芸能人というのが存在する。
少なくとも私たちの世代では、それは薬師丸ひろ子であった。薬師丸ひろ子は、1964年生まれで私たちよりも2歳下であり、青山中から八潮高校を経て玉川大学という私たちにとっては非常にイメージしやすい経歴を持つ。私たちの高校時代は「野性の証明」(1978)をはじめとする角川映画の全盛期であり、絶大な人気があった。それにもかかわらず、学業優先を名目にメディアへの露出は極端に少なく、ファンの飢餓感を煽る仕掛けになっていた。この図式は広末涼子に通じるものがあるんだが、考えてみれば吉永小百合も同じであるな。
前にも触れた「バブルへGo!」では薬師丸がヒロスエの母親役だった。さすがホイチョイのキャスティング、そういうツボは外さないぜ。

薬師丸ひろ子が八潮高校の生徒だったことは、当時「公然の秘密」であったが、公然とは言え秘密は秘密として存在していた。というのは、当時の八潮高校の関係者には混乱を避けるために、徹底的な箝口令が敷かれていたからだ。在校生に聞いても「知らない」ととぼけられたものだ。
私の知っている範囲では、彼女は八潮高校の目の前にあるマンション(なお、1階は焼き肉屋)に住んでいて、朝になると学校に駆け込んだ、という。ま、何しろ、当時人気絶頂だからな。あたしゃ、当時「もうちょっと勉強ができれば、確実に三田だったな」と思ったもんであるが。

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2008/06/08

塩化ナトリウム

またしても妙なモノを発見してしまった。

動画を張り込むと、いろんな検索エンジンから参照アクセスがあるんで、あんまりやりたくないんだけどなー

黒杭先生といえば、一時期、ウッチャンナンチャンの深夜番組に出ていたことがあった。早すぎた「でんじろう先生」と言えばいいか。
あれ、いつ頃だったかなあ。その時自分がどこで何をしてたか、全然記憶がないよ。。。

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2008/06/03

とある、小説

葉桜の季節に君を想うということ」歌野晶午(文春文庫
2004年版「このミステリーがすごい!」第一位
2004年本格ミステリベスト10 第一位
第57回日本推理作家協会賞受賞
第4回本格ミステリ大賞受賞
を、読んだ。本屋に平積みになってたよ。

最近、小説を読むことに対して興味を失っている私だが、輝かしい受賞歴に惹かれて読んだわけではない。
この小説には三田高校が出てくるのだ。主人公の妹の出身校が三田高であり、卒業後に(進学しないで)丸ノ内のOLになる設定である。その経歴が実は、伏線になっている。

未読の人にネタバレするのを避けるために、これ以上書けないけどさ、呆れてモノも言えない小説だったよ。

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2008/05/31

千代田区歌

かつての東京都のエリートコースと言えば、番町小学校→麹町中学校→日比谷高校→東大であろう。番町小・麹町中は公立の義務教育校でありながら、異常に越境入学が多かったはずだ。この越境事情は、今でもそれほど変わらないと思うぞ。今では、都心のど真ん中に住んでいる人なんか議員宿舎の住人ぐらいなもんであり、しかもこの少子化の時代にそういう学校が現在でも統廃合を免れて存在し得ているのは、越境入学のおかげであるとしか考えられない。
そもそも、東京都の教職員にとっては出世コースの終点としてこうした学校に納まっているのだから、よい教育を求める保護者が子供を入学させるのは、ある意味で当然とも言える。私立に通わせることを考えたら、異様なほどお買い得な選択である。
私たちの同期にも小中をそういう学校で過ごして、11群を受験して三田に入った人も少なからず存在していると思う。日比谷に行けなくて、残念でしたな。

それはともかく、こうした千代田区の学校の卒業生は、千代田区歌を歌えるはずである。始業式などの学校行事で歌っていたと聞く。ちなみに東京23区の中でも、区歌を歌うのは千代田区だけである。少なくとも大田区民だった私は大田区歌を知らない。
高校1年の赤城合宿で、どこかのクラスが千代田区歌を歌っていたのをふと思い出した。長野県民が県歌である「信濃の国」を歌えるのと近いノリがあるな。

(追記)ついでに検索してみたら、千代田区のページを発見した。佐藤春夫作詞・山田耕筰作曲というのもスゴイが、歌詞がとても素敵・・・
(追記2)「大田区歌」「品川区歌」「港区歌」とか検索してみたが、ろくなもんが引っかからない。そりゃそーだよなー。

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2008/05/27

呼び出し

Googleの「中の人」〜!
ここをクリックして、メールくれ。

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2008/05/26

学生運動

都立高校がダメになった、と言われている大きな原因は学生運動だ、とされてきた。
都立の進学校は、70年安保闘争が激化した1960年代後半に大学の紛争が高校に飛び火して大混乱に陥った、らしい。私の知り合いに坂本龍一と新宿高校で同級生だった、という人がいるが、彼は「演説しに学校来ていた」そうだ。混乱に陥ったこれらの学校の進学実績はみるみる悪化し、進学校の座は私立高校に移っていく。
そんな中、三田高校は都立高校では数少ない「無紛争校」だった。その名残があの、のほほんとした校風に残っているのだろう。だが、同時に当校にはアグレッシブさにも欠けているのであって、進学実績では常に中位校の座に甘んじているのも事実なんだが。

学生運動の中心にいたのは、いわゆる団塊の世代というやつである。
この世代が思春期に何を考えていたんだか、今から推測するのはとても難しい作業だ。ただ、彼らがその一つ上の世代に大きな負い目を持っていたのだろうと思う。何故なら、彼らは戦争も戦後の混乱期も経験していないから。そのエネルギーが反戦運動に向かったのだとすれば、割にきれいに説明がつく。もちろん、それほど単純な問題ではないと思うが。

そのあと時代は、何も生み出さなかった学生運動に絶望した「しらけ世代」を経て、独自の価値観を持つ「新人類世代」を産む。私たちは客観的には「新人類」の始まりぐらいに属するはずだが、「この連中と一緒にされたくない」って感覚が少しあるかなー。

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2008/05/23

二郎考

数日前に上野毛の二郎を食った。上野毛は「夜もやっている」「ほとんど並ばない」「駅から近い」というお手軽さであり、しかも私の家からは徒歩圏内という好立地である。味は微妙に三田とは違うのだが、もちろん許容の範囲内にある。
私は9時頃、今回はおなかを壊すことがこわくて「麺少なめ」を食べたのだが、驚いたのは食後の体調の変化である。気持ち悪いわけではないが、なんとなく身体全体が重く、体調が悪い。その不快感は、翌朝まで続いた。
いっそのこと、「あぶらまし・ニンニク・野菜」を注文し、しかもシルまで全部飲んで、下痢して出しちゃった方が身体のためにはいいのかもしれないな。ってか、下痢は生体防御反応なのかしらん。わからん・・・

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2008/05/19

サザンオールスターズ

結成30周年だってさ。桑田はもう、52だと。そりゃ、わしらも年とるわけだよ。

今朝のニュースで紹介していた桑田本人のコメントの中で、一つ気になったことがある。それは「モチベーションが上がらないことは否定できない」と言ってたことだ。
私は自分の同業者を見渡しても、この世代でがっくりとモチベーションを失ってしまう人を、実はたくさん見ている。組織が何某かを隠してくれるサラリーマンと違って、非常に目立つのである。桑田には、同じニオイを感じてならないのだ。
私がそれを最初に感じたのは、サザンにとっては最大のヒットでもある桑田45歳の作品Tsunami (2001)の歌詞の大サビにある。

「見つめ合うと素直にお喋りできない」

私は、「お喋り」の「お」が邪魔に感じられて仕方なかったのである。
サザンの歌詞の魅力は、聞き手を置き去りにする言葉の破壊力にあると、私は思う。それはデビュー曲「勝手にシンドバッド」から一貫したものだった。しかし、この「お」は聞き手に媚びている、と私は思ったのだよ。それがモチベーションの低下を端的に示していれば、鮮やかな解釈だが、ま、ちと強引ですな。

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2008/05/15

鹿せんべいを食べたことがありますか?

保健室に足繁く出入りしていた高校1年の頃、一つ上の先輩が修学旅行に行って三宅先生にお土産を買ってきた。そのお土産というのは、もー、忘れもしない「鹿せんべい」である。その場には、私を含めて数名いたはずであるが、驚いたことに私の敬愛する三宅先生は、やおらそれを食べ始めたのである。
その衝撃は、今でも決して忘れることはない。先生は「作っているところを想像したら、とても食べられないけど、熱通っているからねー」と言ってた。私も1枚もらってみたが、はっきり言って糠(ぬか)の固まりである。パリパリだから、かろうじて食えたようなもんである。ってか、食えないですよ、普通。
これほど異常な体験は、忘れようったって忘れられん。

後日、私は「先生、アレ本当に食えるんですか?」と聞いたことがある。そしたら「あたしもあのとき初めて食べた・・・」と。しかも「みんな食べてたので、どきどきしながら食べてた」とのたまっていた。
嘘こけ。率先して食ってたと思うぞ。

とにかく、今でも意味不明の出来事であったな。玄米成分みたいなもんだから、健康にはよいのかもしれん。保健室だしな。
あたしゃ、とにかくテレビで奈良公園の鹿を見るたびに今でも思い出すよ。

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2008/05/11

♪アライグマ

最近の車のCMで「♪アライグマッ、ママママ・・・」というのを聞いていて、ずっと気になっていた。どこかで聞いたことがあったのだが、どこで聞いたか思い出せないってやつですな。1ヶ月前ぐらいにトヨタのHPで調べてみたんだが、曲名は「オリジナル」と書かれていて、私は「そんなはずないと思うんだがなー」と思っていた。とにかく私はなんかの童謡かと思っていたのだ。
ところが最近になって、オリジナルを知る機会があった。

これほど原曲とカバーの印象が違う例もなかなかないと思うぞ。

高校時代、横浜銀蝿はキライだったなー。
何がイヤかといって、こいつらは「ツッパリ」の仮面をかぶったゴテゴテの体制派だったことだ。最大のヒット曲だった「ツッパリHigh School Rock'n Roll」は今調べたら1981年1月(つまり私たちにとっては高校3年生の冬)の発売だったが、「見た目はツッパっているが、ドジな俺」みたいなあざとさが感じられて、気持ちが悪かったのである。少なくとも私は「ハンパすんな」と思ってたな。さらにコンサートでは客席にマイクを置いて、観客から意見を聞く「生徒集会」みたいなこともやってたはずだ。そもそもこいつらは大学卒で、ドロップアウトでも何でもないのである。
その後、首相に就任した中曽根康弘に官邸に呼ばれたりしたときには、「馬脚を現したな」と思ったものである。今の「ネット右翼」の原型みたいなもんだと思う。

確認したら、トヨタのHPには原曲の表示が出ていた。どこかから指摘でも受けたのかな?

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2008/05/09

オリンピック

今年はオリンピックの年であるのだが、そもそも同期会はオリンピック周期で開催していた。
最初の1985年はともかくとして、92年、96年、2000年と開催し、前回は周期が崩れて2006年になってしまった。
実は、できればオリンピック周期に戻したいと私は考えていて、次は2009年でさらにその次に2012年かな、と思っていた。だけど、そうだとすれば「もう、来年かよ?!」という感じが否めないよなあ。ここ数年、しょっちゅう会う機会があるし。

「ワールドカップ」でもいいのではないかと。

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2008/05/06

連休

連休中、皆様いかがお過ごしですか?
私、普通に家にいて買い物に行ったりだらだらと酒飲んだりしているんですが、お恥ずかしいことに「連休明けに、なんとなく、どこかに帰らなければいけない!」という強迫観念が残っているのですよ。大体そういう場合は朝早くに起きなければイケナイので、前日から体調の調整が必要だったりした。どうも、その生活リズムが抜けないのである。困ったことである。

さっき、名簿をざばざばっとチェックしてみたのだが、同期で東京圏ではないところに住んでいる人はわずかに30人ほどである。もちろん実家を連絡先にしてたり単身赴任してたりする人もいるだろうから、もう少し実人数は多いはずだが、それにしても少ないといえる。就職先も別に首都圏の小さな会社ばっかりというわけではないと思うんだが。
ついでに海外にいる人も数えてみたのだが、こちらは12人いた。これは多すぎである。海外の滞在経験がある人をカウントしたら、何人になるのだろう・・・

ちなみに住所変更があったら、連絡して下さい。特に帰国した人はよろしく頼む。

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2008/05/02

アクセス解析について

何度も書いているが、このブログおよび同期会HPにはアクセス解析がついている。だから、どんな検索語でこれらページにたどり着いたかはわかる仕掛けになっている。
同期会HPには、同期会幹事の名前と行方不明者の名前が掲載されている。行方不明者の名前を検索して来るのは、おそらく本人だろうと思う。もちろん同姓同名という線も考えられるが、結構珍しい名前が多いからな。それにその後、ブログにたどり着く奴は、確実に本人だと思う。連絡せいよ。

もう一方、幹事の名前を検索してくる連中、これが謎である。これに関しては、本人ばかりではないと思うぞ。いろんなドメインからアクセスがあるし。しかも、ここには書けないが検索される人が限定されているのである。とても気になる。
ちなみに私の名前を検索してこのページにたどり着く人は、いまだかつて見たことがない。平凡な名前であることを、ある意味感謝するぜ。仕事上の関係者が、このブログまでたどり着くことは私にとってはあまり気持ちいい話ではないからな。

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2008/04/28

出る単

もちろん「試験に出る英単語」のことである。
関西では「シケ単」というらしい。覚えておきたい、豆知識だ。

私たちが高校生だった頃、誰もが持っていたと思う。著者の森一郎は、元日比谷高校の教諭。この辺も例によって三田高生の劣等感を刺激するモノがあるよな。
それはともかく、どんなにアホでも「intellect」という単語だけは知っていると思うぞ。もちろん、こいつは最初に出てくる単語で、abc順でなく頻出順に単語を覚えるべきだという森一郎のポリシーによるものだ。今から考えりゃそんなの当たり前なんだと思うが、当時は画期的だった。おかげで旺文社・赤尾の豆単が古くさく見えたもんだった。

英語のマスダ先生が「あんなものに頼るな」と言っていたのが印象に残っている。私だって今となってはintellectしか覚えていないわけで、単語集で覚えた単語なんて頭に残らないもんだ。もちろん、覚えてたって損はないけどな。

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2008/04/24

アイドル

多くの人が知っていると思うが、私は女性アイドルが好きである。カラオケに行くと、80年代アイドルの曲を入れて、みんなからバシバシと演奏中止を食らうのがいつもの光景である。

最近、私はiPodに当時の曲(歌謡曲、ですな)を入れて聞いているのだが、何度聞いてもすごく驚くことがある。
歌詞が生々しいのである。
とにかく「抱く」とか「触れて」とか「誘惑」とか、今聞くとそのままズバリの行為を指すとしか思えない用語が連発される。それが能天気なメロディーで歌われるのだ。しかもそれを歌っている当時のアイドルは16歳とかの小娘なんであり、おまけに男性誌で水着で思わせぶりな大胆ポーズを取ってたりするんである。
なんつーか、今考えると、すごいです。

自分のことを「エロかっこいい」とか言っている、いまどきの歌手なんか成人しているどころか20代も後半であって、反社会的でも不健全でもなんでもないですよ。自分で作詞していれば何歌おうと勝手だし。あるいは、見れば誰でもヤバいとわかるネット上のエロサイトなんか、あたしゃ、ある面でずっと健全だと思うぞ。子供が見てはいけない部分がはっきりしていて、イケナイのを承知で見に行くのは男の子ならば当然の衝動だからだ。
私はカマトト女の方が、よっぽどこわいよ。それと、イタイケな少女に平気でそういう歌を歌わせていた連中もおっかない。

高校時代の自分も含めて、どうして当時の社会はなんとも思わなかったのだろう。あるいは大人は見て見ぬふりをしていたのだろうか。

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2008/04/20

腕時計

高校時代の一時期、私はデジタルの腕時計を使っていた。
今ではむしろほとんど見かけることのない、液晶表示のデジタル腕時計だったが、当時は「おおっ」ぐらいの軽い衝撃があったはずだ。もちろん、結構いい値段がしたはずで、「近未来」のニオイがプンプンと漂っていた。21世紀においては、100均でプラスチック製のキャラクター時計が買えたりするんだから、「想像していた未来」なんていい加減なもんだが。

私が腕時計を親から買ってもらったのは、中学校の入学祝いだった。それだけに貴重品であって、体育の時間なんかには、金庫に入れていたりしたもんである。今でも高校ではやってんのかな、そんなこと。

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2008/04/17

雑誌

今でもそうだが、私は雑誌を読むのが好きである。
高校時代に愛読してたのは、昭和50年代を代表するサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」であるが、今から思うと当時の自分のセンスの良さを褒めてやりたい。こういう時代を映す鏡のような雑誌を読んでいると、20年以上たった頃に軽く自慢できるのである。ただ、深夜放送と同じで今読んでも面白くないとは思うな。そういう時代の空気を覚えているということが重要なんである。

今はどうだろうねえ。そんな雑誌なんか、ないような気がするよ。
むしろネットで「2ちゃんねる」でも読んでると、のちのち自慢できるかもしれないな。

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2008/04/13

都電の記憶

同期の皆様にお伺いしたいのだが、都電ってどのぐらい覚えていますか?
今は荒川線しか残っていない都電であるが、大規模な撤収がおこなわれたのは昭和44年(1969年)で、私たちは小学校の1年生。私の記憶に残っているのは渋谷〜新橋間の路線ぐらいで、現在国連大学のところが基地だったことまでは覚えているが、銀座を走っていた記憶はかなり怪しい。港区や下町育ちの皆様におかれては、もう少し具体的な記憶が残っているはずだが。男の子だから、バスに乗るよりは都電に乗る方が好きだったな。
三田高校の前の国道1号にも都電が通っていたはずで、こいつは神谷町の方から来て札の辻を通って高輪に抜けたと思うが、私は乗ったことがないと思う。現在、この道でおこなわれている道路幅拡張の工事は、おそらく都電廃線の後始末であるはずだ。凄まじい時間がかかるもんである。

2年ぶりに帰ってきた私が、何よりとまどうのは鉄道新路線開通とターミナル駅の再開発である。私が使っている周辺でも、大井町線に急行が走ったり横浜に新しい地下鉄ができたり、かなり馴染めないもんがあるぞ。渋谷も表参道も出口がわからん!
本当にちょっと目を離すと、鉄道はコロコロと変わる。おじさん、ついて行けないです。

今はPASMOやSUICAになっちゃったから、キセルもできないし、新しい路線ができても少しでも安い路線で移動しようという気もなくなってしまった。「大人になったから」ではない。昔はいい年こいた大人でもキセルしてたぞ。時間については多少考慮するが、都心部は網の目のように交通網が完備されているから、どのルートを通っても何分も変わらない。
まあ、便利になったのだから、その便利をおとなしく享受すべきなんだろうが、自分の生活圏をフォローするだけで精一杯である。

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2008/04/12

仕方ない

この週末、何人かに声をかけて「ヒマだったら飲まない?」とか聞いてみたのだが、ことごとく断られてしまった。やっぱ、いつでも会えるという安心感があるとダメだな・・・と思ったんだが、年度初めの時期でもある。環境が変わった人も多いはずで、忙しいよなあ。

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2008/04/07

ギター

最近、テレビでよく観るのは私たちと同世代のオヤジがギターを弾いている姿である。要するに学生時代にバンドをやってて、今でも弾けるという連中なんだと思う。背広着てネクタイ締めてギターを弾いてたりすると、これが妙にカッコイイ。しかもそいつらがそろいも揃って、結構なテク自慢なんだよ。

三田の同期では、(恐ろしいことに私を含めて)「ちょっとバンドやってた」という人は意外なほど多く、従って今でもギターを弾ける人は結構いるはずである。もちろんキーボードでもいいが。私は怠け者だったので、そーゆー難しい楽器を練習しようという気が起こらなかったことが残念でならない。ギターもキーボードもやんなきゃ、残っているのは「叩くだけのドラム」しかないんだが、それでもそれなりに楽しかったよ。
とはいえ、高校時代にちゃんと楽器をやってたら、今ごろもっと楽しかっただろうなぁ、とは思うな。

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2008/04/05

新年度

さすがに今週は疲れました・・・

この2年間、新横浜・品川・東京の新幹線停車駅で飲み会を開いてくれた皆様、今後ともよろしくお願いします。

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2008/03/31

名古屋生活を振り返る

既に引っ越して帰ってきた私であるが、軽く2年間を振り返ってみたい。
私は名古屋に行く前は慶應の居候研究員としてぶらぶらしてたから、ちゃんとしたポジションにありつけたことが単純にうれしかったな。1〜2年で帰ってこようと思ったし。
そして着任後にすぐに着手したのが、同期会の幹事業務であった。私があちこちの会場から見積を取ったときに「え?名古屋の方なんですか??」って驚かれたもんだよ。
知っていた人は知っていたが、同期会の企画には私のプライベートが密接に関わっていたのである。この結果、4年周期だった同期会の開催が2年も遅れたことを、伏してお詫び申し上げる。それ以上に、このせいで私は同期会で会えなかった人を作ってしまったことを激しく後悔している。悔やんでも悔やみきれない。

名古屋で生活していて、すごく不満だったのは、「サービスに金を払う習慣がない」ということだ。私は名古屋人は金を払うことについて、そいつが「お値打ちかどうか」で判断する人種だと思った。これは単純に安い物を求めるのとは、少し違う。その辺のスーパーで買い物をしても、客に対してきちんとサービスしようとしないし、客もそれを求めない。店内も古くて、なんとなく薄汚れている。サービスを提供することは「お値打ち」じゃないからだ。最初は何とも思わなかったけど、それがすごくストレスだったな。
それと物価が高いのも意外だった。私は外食してたからその辺の定食屋に入るんだが、東京に比べて微妙に高い。1〜2割は違うような気がした。それは主に絶対的な客数の差だと思う。また、スーパーの食材やドラッグストアの雑貨も1〜2割高だった。こちらは流通の差なんじゃないかと分析した。その証拠に少量多品種を要求される季節食材や海外食材の品揃え量がものすごく貧弱だった。
記述としてはこの辺が限界。これ以上は、会ったときに話す。
結果として、少なくとも私にとっては「住みにくい街」だったということは言える。

私は、名古屋に限らず田舎ってもっと面白いところだと思ったな。東京にはない個性があって、誇り高くて、生き生きとしているのか、と。もちろん、経済的には東京にかなわないかもしれないけど、自分のサイズで生活しているのか、と。
だけど、そうじゃなかった。みんな、東京と同じ便利さを求めている。そしてちょっとばかり経済的に潤うと、パチンコあたりで無駄遣いする。もう少し潤うと、車で見栄を張るのだ。東京人は他人がどれだけ稼いでいても、その使途には(少なくとも表面上)興味を示さないのとは、対照的だと言える。

私は、少なくとも東京生まれで東京育ちであることに非常に単純な誇りがある。それは他所に対して優れているとも劣っているとも思わないのだが、地方では東京出身であることを誇ることは絶対に許されないということを名古屋生活で思い知った。なかなかつらいっすね。

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